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賢者と愚者
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    世間でまかり通っている一句に、

    賢者は歴史から学び、

    愚者は経験から学ぶ、というのがある。

    だがあれは、真っ赤な嘘である。

     

    賢者は、歴史からも経験からも学ぶことができる人で、

    愚者は、歴史からも経験からも学ぶことができない人、

    と言い変えるべきである。

    なぜなら、歴史とは経験の集積にすぎないからである。

    (塩野七生『日本人へ−危機からの脱出篇』文春新書、2013年、p228)。

     

     

    *「歴史は経験の集積にすぎない」というところに

    ぐっときた。

    そうだよな。

    *ところで、これを本とネットにあてはめてみた。

     賢者は「本」からも「ネット」からも学ぶことができる人で、

     愚者は「本」からも「ネット」からも学ぶことがでない人である。

     今はどちらも重要だ。

     とりわけ、学生はネットを利用しつつも、本に親しんでおくと

     自分の後人生が豊かになる。

     特に、本から情報の引き出し方を身につけておくことだ。

     将来必ず役に立つ。(わかりやすく説明していきます)

     

     

     

     

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    火花(続・終)
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      蒲田行進曲の銀ちゃんも

      (俳優として)売れてるか、売れてないかを

      重視していた。

       

      漫才コンビもそうだ。

      表現者は皆そうだ。

      売れてるか、売れてないか、

      そこに賭けている。

       

      「新ネタなどは毎日でも作れる。

      漫才はそういうことではないのだ。

      そんな感覚でやっているから、

      いつまで経っても僕たちには自分達の

      リズムというものが見つからないのだ。」

      (『火花』p65

      *漫才は何でもありで、客ウケすればそれでいい。

       しかし、刹那的にウケても長続きしない。

      そうではなくて、「リズムというもの」が必要なんだと知る。

      (私は漫才師ではないけれど、人前に出る仕事なので、

      「リズムというもの」が必要だと身に染みている。)

       

      神谷「周りの評価気にしてても着かれるだけやん。

      そこ(ネット掲示板)に書かれてることで、お前の作るもんって

      変わるの?」

      徳永「一切、変わりません」

      神谷「せやな。俺たち、そんな起用ちゃうもんな。

      好きなことやって、

      面白かったら飯食えて、面白くなかったら淘汰される。

      それだけのことやろ?」

      *やるべきことはいたってシンプル(単純)、

       そこに迷いはない、という感じだな。

       しかし小説は「それだけの筈だった」と続く。

       

       

      神谷「淘汰された奴らの存在って、絶対に無駄じゃないねん。

      やらんかったらよかったって思うやつもいてるかもしれんけど、

      例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかって

      言うたら絶対そんなことないやん。

      一組だけしかおらんかったら、絶対に

      そんな面白くなってないと思うで。‥‥」

      *平田オリザのエッセイを思い出した。

       芸術大学に進学する人すべてが、芸術家になるわけじゃない。

       しかし、芸術大学で学ぶ人が増えれば増えるほど

       その国の芸術レベルは上がる。

       つまり、芸術を学ぶ人は、知らないうちに

      その国の芸術レベルを上げることに寄与(貢献)

      していることになる。

      *芸人同士の切磋琢磨(せっさたくま)が

      芸の質を高める、ということか。

       

      いずれにせよ、このドラマは、

      漫才師の話を題材にとりつつも、

      社会の仕組みの一端を切り取って見せている。

      (誰もそんなこと考えてないかもしれないけれど)

      だから私は面白いと思った。

       

       

       

       

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      火花
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        『火花』を見ている。

        漫才タレントを目指す若者の物語だ。

        主人公はイケてない若者(この役者さんがうまい)

        相方と漫才の練習を繰り返す。

        面白くないけれど、味があってぐいぐいひきこまれる。

        先輩で師匠と尊敬する神谷さんは

        あほんだらという漫才コンビを組んでいる。

        *相方役は吉本のトロサーモンの相方じゃないかな?

         ドラマではめちゃめちゃ上手に見えた。

        (TV出るぐらいの漫才って、レベルが全然違うこと

         わかった。重い空気でも関係なく突っ込んでウケる。)

         

        小説『火花』は読んでいた。

        気になったフレーズ。

        「審査する方の思考が正常に機能しているかどうかは、

         側で見ていてもわからなかった。それでも不平を

         訴えるものは皆無だった。自分達が人前で何かを

         表現する権利をえるためのオーディションなのだから、

         そこで自分の価値を証明できないうちは自らの考えを

         述べることは許されないという気分が全体に横たわって

        いたのだ。‥僕たちは‥‥それぞれのやり方で格闘して

         いたのだ」。

        *「売れてね〜んだよ!」「チクショー」

        銀ちゃんの言葉を思い出した。@蒲田行進曲

         

        「自分の価値を証明できないうちは自らの考えを

        述べることは許されない」

         

        そうだ、その通り、でもその制約があるから

        「なにくそ」と歯をくいしばって頑張れる。

        そこに成長がある。

        人間は成長するために生きている。

        (おっさんでも成長する、らしい)

         

        続く

         

         

         

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        あかんたれ
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          『あかんたれ』は

          花登筐先生のテレビ小説である。

          昭和初期、

          妾(手かけ)の子供である主人公が

          店の中で出世していくお話だ。

          ウィキペディアには次のように出ている。

           

          主人公・秀松(俳優 志垣太郎)

          成田屋の先代主人・秀吉と許嫁・お絹との間に生まれた子。周囲から尊敬されるような父を持ちながら、わがままで意気地なしであった秀太郎の将来を憂慮したお絹の判断により、秀吉の死を機として「ご寮さんや兄弟たちから弟と呼んでもらえるまでは一切会わない」と約束させた上で、成田屋に丁稚として預けられる。本妻であるひさや分家をはじめ、成田屋の人間から「てかけの子」と容赦ない苛めを受けるが、音松やお光、糸茂ら数少ない理解者たちに支えられ、屈することなく父親譲りの才覚と人格を併せ持った青年へと成長を遂げる。呉服問屋としての経営不振や成田屋の身内による散財などによって倒産寸前に追い込まれ、安造やご寮さんでは取引できないとの理由で取引先から主人に推挙されて以後も「主人の代理として店を預かっているだけ」と言い続け、やがて男性下着の「ステテコ」を開発し、凋落の一途を辿っていた成田屋を再興、世間から「ステテコ大将」と呼ばれるまでになる。

          https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%9F%E3%82%8C

           

           

          背景には

          森鴎外の小説にみる「予定調和」の感もあるが、

          なぜか再放送を見続けていた。

          昭和初期の大阪商人を描いていること、

          根性ものストーリーであること、

          意外とシニカルであること、‥

          理由は多々ある。

          *昭和初期の大阪について、もう少し探ってみたい

           

           

           

           

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          7割
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            武田康『野村商法物語』(中公文庫)より

            人間は神様ではないから人間は人間としての限度を
            よく理解してその限度内でベストを尽くすべきであるまいか。
            7割でよいから不確実さのない純粋の確実性をうれば、
            それでよしとしなければならない。
            問題は7割の確実性の精度である。
            それをうるために調査し、研究するのである。
            そして7割の科学的確実性をつかんだら断固として猛進するのである。
            こういう行動をとるのが、企業家の態度である。
            こういう行動をとる人間がいなければ、日本経済は発展しないであろう。
            企業を経営するのに危険を恐れ過ぎて9分9厘の確実性を求めるのは不可である。
            (同書、p22。)


            ちょっと手に取って読んだら面白かった。
            まだ途中だが、2代目野村徳七の略歴が書いてあって、
            相場の上下を7割方見通すために、
            悪戦苦闘する様子が描かれる。
            株式相場などは、ある種のばくちであって、
            しかし、それは資本主義に「内蔵された装置」であるがゆえに
            悩ましいわけだが、
            悩ましい部分を逃げないで
            まっすぐに進む様子が感じられる。
            *本文から、自身の仕事を
             社会(日本経済)の一部と位置づける態度が素晴らしい。
            *内村鑑三『後世への最大遺物』(岩波文庫)を思い出した。
             薄い本だが、その意味するところに励まされた。
             平凡な人がどのように社会と関係を取り結べばいいのか、
             説得力をもって語ってくれる。
             (夏のサマーセミナーの講演録です)








             
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            図書館とインターネットの違い
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              いろいろあると思うけれど、

              ふだんどちらを多く使っているか、

              私は目的に合わせてどちらもよく使っている。

              それぞれ一長一短ある。

              しかし、どちらも便利だ。

               

              こんな記事を見つけた。

              (両者の違い)

              ‥‥それは、図書館が知識の全分野を対象に

              収集・蓄積し体系的に整理し、明確な方針の下に位置づけ、

              それを取り出す仕組みを確立している点だ。‥‥

              (二村建「電子化進む全国の図書館」

              『エコノミスト』2013年3月12日号、p47。)

               

              これって、学問の体系と同じだ。

              知識を社会の文脈の中に位置づけること、

              それがインターネットとは違うところだ。

              例えば、漫画が好きで、漫画を膨大に収集するのは

              単なるオタク(もしくはコレクター)だ。

              しかし、それがより深くなって、

              時代の中に漫画を位置づけるようになったり、

              作家や作画などに分類したりするようになると、

              学問(社会)的意義を持つようになる。

              研究になっていく。

              *単なる知識の寄せ集めも重要だが、

               これからは

              その編集能力が期待される時代になっていく。

              *もしそうならば、図書館はインターネットの

               利便性を身につけて、ますます重要になると

               思うのだ。

               

               




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              ポトラッチ
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                (ポトラッチのような互酬競争)儀礼が意味を持ち得たのは、

                一族や家族の社会的地位がその所有している財産の規模ではなくて、

                消費しうる財産の規模(度量の大きさ)によって決まる、という

                観念が支配的であったからです。

                (東北学院大学経営学部おもてなし研究チーム編

                『おもてなしの経営学(理論編)』創成社、2012年、p3。)

                 

                *読み始めたところですが、ネット社会が進展すると

                 市場競争に代わって互酬競争が再び起こるのかと

                 想像しています。




                 
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                大学生気質
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                  小杉礼子編『若者の働き方』(ミネルヴァ書房、2009年)

                  の第4章(上西充子「大学生の現状とキャリア形成支援」)に

                  面白い内容があったので(関心のある部分だけ切り取って)紹介する。

                   

                   大学数は1992年523校から、2008年765校に増えた。

                  進学率も50%をこえた。

                   社会人の基礎力として、「行動力」「考え抜く力」「チームワーク」

                  が求められている。

                  (これを、大学でどのように指導していくか、難しいだろうな、と思った)

                   

                  興味深かったのは、ある研究の引用なのだが、「教育の射程」という図だ。

                   

                  縦軸に「教育の射程」(どれぐらい学生を学問に引き付けられるか)、

                  横軸に「学生の社会性」(どれぐらい社会性が身についているか)

                   

                  まず「大学好き、社会性あり」(宜眛営粥法△海譴麓分に自信あり、

                  将来展望も明確で、大学と個人の意図が一致している場合である。

                   

                  次に、「大学好きでもない、社会性あり」(狂堕蠧営粥法△海譴

                  勉強はほどほどに、あとはサークル、ボランティア、バイトなどに熱中。

                   

                  第3として、「大学好き、社会性無し」(啓容)、

                  これは大学で学ぶ意味が不明で、

                  しかし、とりあえず楽しい授業を期待している、座っていれば難しいことも

                  何でも理解できると(本気で)思っている場合である。(ある意味恐ろしい)

                   

                  最後に、「大学好きでもない、社会性無し」(諺続亜法

                  これはやる気なし、何しに大学に入ったのか分からない、

                  という場合である。

                   

                  *今、第3の場合が、急激に増えているような気がする。

                  20年前は第2パターンが多かった。

                  学生の多くが「お客さん」化している。じっくり自分の頭で考えて、調べて、

                  悩んで苦しんで、鍛えられていくのに、それをしない。

                  それじゃ本来の意味の学びにならず、実力もつかない。

                  もし簡単に理解できることなら、中学生でもできるんだよ。

                  そうじゃない、大学生には大学生の学びの意味がある。

                  *世間はデフレだが、学歴はインフレ気味で大学卒の価値が

                   どんどん下がっている。入学率50%超だから。

                  *さあ、自分には何ができるのか考えて実行していこう。(している)

                   


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                  失敗学
                  0
                     

                    以前から失敗学に関心があったのだが
                    予想通り面白かった。  


                    畑村洋太郎『「失敗学」事件簿』小学館、2006年。

                     

                    6章

                    失敗の法則

                    1)失敗は予測できる〜失敗の特性分析

                    失敗とは「こうなるだろうと思って行動したが、初めに定めた目的を達成できないこと」をいう。


                    失敗の原因

                    a)不注意や判断ミスなど失敗者個人に責任があるケース

                    b)経営トップの戦略ミスや組織運営不良に起因する失敗

                    c)行政・政治の怠慢や価値観の変化など社会システムとの不適合による失敗

                    *ただし、これら要素が原因は重複するケースがほとんどだ

                     


                    2)失敗情報は隠れたがる

                    例)食品偽装(雪印のケース)

                    会社のタテ型組織は上に立つものが効率的に運営するメリットがある。しかし失敗情報を隠すデメリットもある

                    したがって「失敗対策はトップがやるべきだ」

                     

                    3)失敗は変わりやすい(単純化しやすい)

                    *伝わっていくうちに失敗の内容が変わったり、単純化されたりしやすい

                     


                    4)ハインリッヒの法則(1:29:300)

                    *アメリカの損保会社部長のハインリッヒが1941年に事故や災害の調査により公表したものだ。

                    1件の重大災害の裏には29件のかすり傷程度の軽い災害があり、さらにその裏には300件程度の「ヒヤリ」とする体験がある」




                    *失敗学を自身にあてはめると、
                     何を失敗とするのかが問題だが、
                     いずれにしても有益だ。活用していきたい。



                     

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                    切り抜き
                    0
                       

                      加藤周一『日本語を考える』(かもがわブックレット、かもがわ出版、1990年)。


                      高校生の国語の先生がよく読んでいた。

                      『羊のうた』だったかなぁ。


                      朝日新聞のコラムでたまに見る程度だが、面白い。


                      これは故加藤氏講演速記録のようなもの。分かりやすいのでお勧めだ。

                       

                      以下切抜き。

                       

                      ■日本の徹底した翻訳主義について、

                      p25 、1880年代の後半までの間にほとんどを翻訳する。わずか20年で森羅


                      万象、みんな翻訳した。それは実に驚くべきことです。法律だけとっても、憲法だけ


                      じゃなくて、民法とか刑法とか刑事訴訟法とか商法とか、それから国際法(… 


                      その頃は万国公法といいましたが)とかそういうもの全部、20年間で日本語に翻訳した。


                      カタカナの言葉は、一語も入ってないのです。これは実に驚くべき事業であります。


                      *当時の法律を継承しているから、今の法律用語がやけに難しく感じるのだな。


                       日本語の造語能力は漢字の使用と密接につながっているように思う。


                       観念的な言葉もうまく表現できているようだ。しかし、それを実感できるレベルではない。


                       


                      ■日本語の主語


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                      29 イタリア語は文法によって主語が明らかです。


                         ところが、日本語では状況によって明らかです。


                      *そうだな。場の雰囲気で誰が主語かなんてすぐ分かるもんね。


                       「あ、うん」の呼吸だ。こういうの好きだ。


                       


                      ■全体と部分


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                      31 全体から出発して、部分にいかないで、部分を積み重ねていって


                        全体に到達するという思想的傾向は‥‥


                      *全体と部分という2元論をしない。だから体系的でない。


                       経済学のマクロとミクロがつながらないようなものか。


                       


                      ■日本における「説得」の不在


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                      45 ‥不特定多数の人を説得するということがわりと少ない。そういう種類の説得というのが

                      ないので、大衆に呼びかける時はそれを狒犧遒垢覘瓩箸いΨ舛砲覆襦


                      嘘ついたり、いろいろごまかしたりしてね。つまり広告みたいな形になると思います。相手が別

                      の意見を持っているかもしれない不特定多数の人を説得しようとして、議論を使うということは

                      非常に少ない。


                      *日本に広告が多いのも「説得」のあり方に表れているのかもしれない。


                       各自にじっくり考えてもらう「言説」をどうつくっていけばいいのか考えている。


                       一昔前なら「暗記」「暗記」でよかったけれど今はそうはいかない。


                       

                      ■言葉を定義する習慣


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                      48 日本社会では言葉を定義する習慣が弱くて、そのことが字引にも表れています。


                         国語辞典を引くと、たいてい言い換えです。


                      *つまり同意語が多数集まっているだけだ、という。論文書くとき何度も「概念規定をしろ」


                       と言われたなぁ。懐かしい、それが今生きている。良かった。


                       

                      ■憲法解釈

                      p51  「自衛のための戦力は戦力に含まれない」というのは


                          「四本足のネコはネコに含まれない」というのと同じです(笑)。


                      *通常の国語力をもってすれば9条解釈は皆同じ結論になるのだが、


                       これを無理からねじ曲げる必要が出てくるので解釈が難しくなる。


                      *こういうとき「日和見(ひよりみ)」の人たちが多数登場する。


                       「日和見」でなければ生きてゆけない(生きにくい)というのも日本では事実だ。


                       

                       

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